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東京地方裁判所 平成5年(ワ)665号 判決 1994年10月28日

原告

宗教法人泉岳寺

右代表者代表役員

小坂機融

右訴訟代理人弁護士

田倉整

酒井正之

被告

東京都

右代表者交通局長

堀田安二

右訴訟代理人弁護士

浅岡省吾

右指定代理人

北岡康典

篠岡祐挙

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、都営地下鉄の駅名として、「泉岳寺」という名称を使用してはならない。

第二  事案の概要

本件は、原告が被告に対し、被告が原告の寺号と同一の「泉岳寺」という名称を都営地下鉄浅草線(以下「浅草線」という。)の駅名に使用している行為(以下「本件駅名使用行為」という。)について、不正競争防止法二条一項一号及び三条一項、法人の氏名権(名称権)又は商法二一条を根拠に、その差止めを求めている事案である。

一  前提事実

1  原告は、慶長一七年(西暦一六一二年)に徳川家康によって外桜田の地に建立され、その後寛永の大火により消失したものの、毛利、浅野ら五大名の尽力によって現在の高輪の地に再建され、江戸三ヶ寺として江戸の寺院の三分の一を支配し、多数の大名がその檀家に名を連ねていたものであるが、今日においても、多くの檀家、信者を擁し、格式の高い由緒ある寺院として、また特に、赤穂義士ゆかりの寺院としても著名であり、その「泉岳寺」の名称は全国に広く知られている(争いがない。)。

2  被告の一部局である東京都交通局は、地方公営企業法に基づき被告が経営する地方公営企業の一つであり、鉄道事業(都営地下鉄等)、自動車運送事業(乗合バス等)等を行っている(乙一)。

3  浅草線は、昭和三七年八月二九日、東京都市計画高速鉄道一号線として路線の告示を受け、浅草線大門駅・泉岳寺駅間については、昭和四一年六月に着工し、同四三年六月二一日、京浜急行線品川駅・泉岳寺駅間と同時に開業したが、泉岳寺駅の正式名称は、同月一八日付け東京都公報の交通局告示第三号で駅の名称及び所在地「泉岳寺(港区高輪二丁目十六番地)」と告示され、開業時から現在に至るまで本件駅名使用行為が行われている(乙四の1・2、五)。

二  争点

〔不正競争防止法に基づく請求について〕

1 被告の本件駅名使用行為は、被告の営業を原告の営業と混同を生じさせる行為に当たるか(不正競争防止法二条一項一号)。

(一) 原告の主張

原告は、宗教法人として宗教活動に従事しているが、宗教法人は営利活動を行うことができ(宗教法人法六条二項)、現在の経済社会では寺院の活動も収支計算の上に立って行われているから、原告の事業も不正競争防止法二条一項一号の営業に該当するところ、被告は、本件駅名使用行為によって、被告の営業が原告の営業であるとの混同を生じさせている。

現実に混同があった例としては、泉岳寺駅への問合わせの電話が間違って原告にかかってきたり、荷物が誤配されたり、待合わせ場所として混同されたり、泉岳寺駅近くの別の場所の法事、葬儀を原告のところと間違えたりされたことがある。

(二) 被告の主張

原告は、宗教法人であり、その仏閣施設を有し、宗教活動を行うものであり、被告は、地方公営企業を経営する地方公共団体である。そして、地下鉄事業は、国による免許事業で、誰でも自由に行える事業ではなく、特に都営地下鉄事業は、地方公共団体である被告以外の者が行うことはできない事業であり、地下鉄事業ないし都営地下鉄事業を原告のような宗教法人が行っている例もなければ、行うこともあり得ず、一般人が浅草線泉岳寺駅の施設や駅務活動を宗教法人である原告の営業と間違えることはあり得ないから、被告の本件駅名使用行為により被告の営業が原告の営業であるとの混同が生ずるおそれはない。

原告が主張する間違い電話や荷物の誤配等は、原告と被告の泉岳寺駅とは全く異質な社会的存在であるから、泉岳寺駅の営業を原告の営業と間違えたものではなく、電話帳や荷物の宛て先の記載の不備、読み間違い等によるものであり、不正競争防止法二条一項一号にいう営業の混同ではない(なお、電話帳の記載の不備は、被告の申入れによって既に是正されている。)。

2 被告の本件駅名使用行為によって、原告の営業上の利益が害されているか(不正競争防止法三条一項)。

(一) 原告の主張

原告の「泉岳寺」の名称は、被告の本件駅名使用行為により、単なる地名であるかのような誤解が世人に生じており、その特異性や識別力を喪失しつつあること自体が原告の大きな損害である。原告は、現に、マンション名、ビル名又は屋号として「泉岳寺」を使用した者から、この名称を使用した理由として都営地下鉄の泉岳寺駅があることを挙げられたことが多い。

(二) 被告の主張

原告は、営利事業を行っていないのであるから、狭義の営業上の利益が害されることはないし、寺院の活動が収支計算の上に立って行われているとしても、被告の都営地下鉄事業とは全く異質で、およそ競業ということもあり得ないのであるから、原告の収支計算上の利益が害されるとか損失が生じるということはない。

原告は、被告の本件駅名使用行為によって原告の名称の特異性や識別力を喪失すると主張し、これはいわゆる「ダイリューション理論」の主張と思われるが、不正競争防止法では、いわゆる「ダイリューション」を保護の対象にしていない。また、本件駅名使用行為は、都営地下鉄という公益事業の駅名についてなされたものであり、後記3(二)(3)イのとおり寺社名が鉄道等の駅名に使用されてきた我が国の社会的慣習ないし伝統に鑑みれば、客観的に見て、原告の名称の特異性や識別力を高めこそすれ、喪失ないし希釈化させていることはない。

〔法人の氏名権(名称権)に基づく請求について〕

3 被告の本件駅名使用行為は、原告の氏名権(名称権)の侵害となるか。

(一) 原告の主張

(1) 法人の氏名権(名称権)

自然人は、自己の氏名について氏名権を有する。氏名権は、人格権の中枢にある古典的な権利であり、自己の氏名を無断で使用された場合は、右侵害行為の差止めを求め得る権利である。

法人や団体にも人格権があり、法人や団体も、自己固有の名称の使用を独占する権利(以下、法人や団体の場合も「氏名権」という。)を有する。したがって、法人や団体は、自己の名称を無断で使用された場合、人格権である氏名権に基づき、その侵害行為の差止めを求めうる。

(2) 原告の氏名権

原告は、「泉岳寺」という寺号を四〇〇年近く自己固有の名称として使用しており、前記のとおりその名称の著名性についても疑いはない。また、「泉岳寺」という寺号の寺は、全国で原告以外にはなく、「泉岳寺」は原告固有の名称である。さらに、泉岳寺に関係した地名として「泉岳寺前」という都営バスの停留所の表示があるが、「泉岳寺」のみを表示した町名、地名はない。なお、交差点標識に「泉岳寺」とあるが、原告の承諾のある使用ではなく、原告の承諾に基づかない使用の事実によって被告の使用が正当化されることはない。また、かつて「芝泉岳寺門前町」という地名はあったが、「泉岳寺」という地名は存しない。

したがって、原告は、「泉岳寺」という寺号について氏名権を有する。

(3) 本件駅名使用行為の違法性

ア 被告の本件駅名使用行為によって、前記1(一)、2(一)のとおり誤認、混同が生じ、「泉岳寺」という寺号が地名であるかのように誤解され、マンション、店舗等の営利事業に「泉岳寺」の名称が使用されることが多くなって、「泉岳寺」の著名性が希釈化し、また、「キャバレー泉岳寺」「パチンコ泉岳寺」などという名称が生じる可能性も生じ、原告が長年培った品格、名声が著しく損なわれることになる。そのため、原告は、「泉岳寺」の名称を使用する者が現れた場合は、適宜その使用中止を要請し、場合によっては仮処分等の訴訟を提起して、「泉岳寺」の寺号の品格、名声を維持するために、普段から鋭意努力している。

イ 「泉岳寺」の寺号は、信仰の場としての原告の名称というだけでなく、仏像等と同じく信仰と深く結び付き、特に信者、檀家等原告の関係者にとっては崇高、不可侵のものとして存在している。したがって、原告としては、その寺号が被告に無断で使用されること自体が損害である。

ウ 被告は、宗教法人法が宗教法人の同一ないし類似名称の使用について何らの規制も制限もしていないことから、宗教法人について名称の専用使用権は認められない旨主張するが、宗教法人同士の名称についても誤認混同を招くようなもの、識別ができないものは問題がある旨の監督行政庁の見解もあるし、まして、宗教法人でない者が実在する宗教法人の寺号をそのまま施設名、営業名として使用できる理由は全くない。

エ 被告は、原告のように著名な寺院は、公共的存在であるから、その名称を駅名として使用することは許される旨主張するが、原告が著名であり、公共的存在であるからといって、第三者が自己の事業のためにその名称を勝手に使用できることにはならない。また、全国には寺号と同一の駅名が存在するが、これは当該寺院が駅名として寺号を使用することについて異議を唱えていないのであるから、本件の参考にはならない。さらに、都営地下鉄及びその駅の機能については公共性があるといっても、駅名には代替性があるから、原告の名称を駅名として使用すべき必然性はない。

オ 被告は、都営地下鉄について「泉岳寺」という名称を公文書に公式用語として使用したり、地元住民に対する説明会で説明しているが、何の異論もでなかった旨主張するが、原告のように「泉岳寺」の名称使用について直接の法的利益を有する者に対しては、個別の同意承諾を求めるべきものである。

カ よって、原告は、被告に対し、氏名権に基づき、本件駅名使用行為の差止めを求める。

(4) 故意

被告は、「泉岳寺」という他人の名称を駅名として使用することについては故意がある。被告は、被告には故意過失がなかった旨主張するが、被告のいう故意過失は、違法性の意識があったか否かの問題にすぎず、仮に被告に違法性の意識がなかったとしても、他人の名称を使用すること自体について故意がある以上、責任を免れることはできない。

(二) 被告の主張

(1) 氏名権の不存在

宗教法人の名称については、自然人のような氏名権はない。商事法人は、営利を目的とする社会的存在であり、営業主体や商品の出所の混同が生じると一般市民に不測の損害を及ぼすおそれが大きいため、その名称については、法によって一定の制限が加えられているとともに、一定の法的専用権が認められている。これに対し、宗教法人法は、宗教法人の名称自体について何らの規定も設けておらず、同一ないし類似名称の使用についても何らの規制も制限もしていない。そして、所轄庁の行政実務でも、同一名称の宗教法人の設立が多数認証され、登記されているし、同一名称の宗教法人の設立や改名に対する異議も認められていない。すなわち、宗教法人では、同一又は類似名称の採用は自由であり、名称について特段の法的地位は付与されておらず、法的専用権も認められていない。

宗教法人である原告は、同じ宗教の分野でも名称の法的専用が認められないのであるから、関連もない他分野で営業している被告に対して、同一の名称であることを理由に、その専用使用を主張することは認められない。また、「泉岳寺」という名称の宗教法人が、現在、原告のほかに存在しないとしても、右名称の宗教法人が法的、制度的に存在し得ないわけではなく、たまたま同一名称の宗教法人が存在しないというだけのことである。

(2) 氏名権侵害の要件

我が国の自然人の氏名は、氏は伝承され、名だけが新たに付けられるが、この命名については、使用文字等の制限があるほかは自由であり、他人の氏名と同一又は類似となるものも禁止されておらず、いわゆるあやかり命名も広く行われている。そのため、同一氏名の者は多いし、同一氏名となる命名が氏名権の侵害とされることもない。

氏名権の侵害が成立するのは、違法に自己の氏名ではない他人の氏名を無断で使用し、その他人と無断使用者との誤認混同を生じさせ、又はその間に何らかの特別の関係があるものと思わせて、これによりその他人の名誉、信用その他財産的権益を侵害して、損害を与え、かつこれについて無断使用者に故意又は過失がある場合である。

(3) 本件駅名使用行為の違法性

ア 鉄道では、経営主体と路線名でその営業路線を特定し、駅名でその路線上の駅の所在地ないし所在場所を特定しており、駅名は、駅の所在地ないし所在場所を特定することを目的とした名称で、場所的表示がその本来的機能である。そして、鉄道は、一般に広域交通機関であり、広範な地域にわたる不特定多数の公衆に輸送、移動の手段を提供する公共的機関であることから、その駅名は、公衆の場所的目標として広く知られやすく、なじみやすいものであることが肝要である。そのため、我が国では、従来から、駅名として駅所在地の地名、駅所在地付近の公共的施設名、駅所在地付近の著名な歴史的物跡名など、その名称によっておのずとその所在地が人々の頭に浮かぶような象徴的で分かりやすく、親しみやすい公共的存在の名称が選定されている。

イ 神社仏閣は、一般には、古来から広く公衆の入門参拝を認め、お札、絵はがき等を交付販売し、門前に土産店や飲食店が設けられるに至るなど、公衆と深いかかわりを有してきた公共的存在であり、寺社が古い歴史を有し、著名であればあるほど公衆の来訪は広範多数となり、より深く公共的存在となると同時に、時の経過の中で、その寺社名は、その所在地を象徴し、表示する機能を持つに至るのである。

寺院は、右のような由来から、公共的施設ないし歴史的物跡として、その名称が鉄道の駅名として用いられることが多いが、これは、私利、私益への使用ではなく、公共的、公益的使用であり、我が国の社会的伝統ないし慣習として公認されてきているものである。

また、宗教法人は、宗教団体としての社会的使命を有し、社会の構成員として存在し、一方で自然人以上の各種の法的優遇措置を受けているのであるから、その反面、自然人より社会、公共のために多少の不便や労を受忍すべき義務を負うものである。

ウ 原告は、広く公衆の入門参拝に解放され、不特定多数の者が来訪参集し、原告もこれらの者に対して案内標識を立て、駐車場を設け、記念品、絵はがきを販売し、義士館を設けて入場券を販売するなどし、門内外には来訪参集者を対象とする土産物店や飲食店が常設されているのであって、公衆と深く関わっている公共的存在であり、「泉岳寺」という駅名も、前記のとおり、我が国の社会的伝統ないし慣習に基づいて命名されたものである。

エ 「泉岳寺」という文字名称は、江戸時代から明治二年まで、原告寺院の存在する地域について「泉岳寺門前町」として用いられており、原告寺号は深く地名とかかわっている。

「泉岳寺」という文字名称は、現在でも、原告寺院が存在する地域の第一京浜国道高輪二丁目先交差点の名称に「泉岳寺交差点」として用いられており、市販の地図や案内図板にも右のとおり記載されている。そのほか、道路管理者により主要地点に設置される道路標識としても「泉岳寺」という標識が設置されている。

オ 「泉岳寺」という名称は、浅草線の第二次世界大戦前の計画段階以来、起点、終点あるいは経過地の表示として公文書に公式用語として用いられ、東京都市計画高速鉄道に関する関係図書として縦覧された中にも記載されているが、これは、原告や原告の境内を指すものとして用いられているのではなく、原告寺院の存在する地域ないし場所を指す名称として用いられているのであり、この名称が原告と誤認混同されたことはなかった。さらに、被告は、浅草線の工事に関する事前手続として開いた地元住民に対する説明会で、仮称駅名として「泉岳寺」という駅名を説明しているが、何らの異論も出ていない。

カ 原告が主張する間違い電話や荷物の誤配等は、社会通念上問題とされるべき損害ではなく、原告は、本件駅名使用行為によって他に何らの損害も受けていない。

キ 以上のとおり、被告の本件駅名使用行為について違法性はない。

4 原告の氏名権侵害に基づく差止請求は権利の濫用か。

(一) 被告の主張

(1) 「泉岳寺」の駅名は、既に二五年以上にわたって人々に親しまれ、極めて多数の者に利用され、社会的にも定着しているし、駅名を変更すると、その路線だけでなく、別紙記載の相互乗入線、連絡線の各事業主体、各駅に多大の費用と労力の負担を及ぼすだけでなく(被告の交通局関係の乗車券、定期券、駅案内標識、運賃標識等の物件についての試算でも、その費用は約三億五〇〇〇万円を下らない。)、広範多数の利用者、及び、時刻表、地図、旅行案内書等の発行業者にも多大の負担と影響を及ぼす。

これに対し、原告には、被告や公衆等の右のような負担や影響に比肩しうる損害はない。

(2) 「泉岳寺」という駅名は、前記一3のとおり、昭和四三年六月一八日付け東京都公報で広く周知され、現在まで使用されている。「泉岳寺」という駅名については、原告寺院の者が昭和四六年四月ころ泉岳寺駅に駅名のことで話があるとのことで来訪したが、同駅助役が本局に言って欲しい旨応答したところ、その後本局には話がなく、また、昭和五三年ころ原告寺院の者が泉岳寺駅を来訪して間違い電話等に関して申入れをしたが、話合いの結果納得して帰ったことがあっただけであり、そのほかには、原告の住職らが平成三年六月二八日に被告の交通局に来局し、その後原告から被告に平成四年一〇月一四日付け内容証明郵便が送達されるまで異議の申入れはなかったものである。

(3) よって、原告の請求は、権利の濫用である。

(二) 原告の主張

(1) 駅名変更により被告が負担する費用や一般人への影響は、人格権の中心的な権利である氏名権を侵害されている原告の被害と比較してはるかに軽微なものである。被告は、現に長年使用してきた「江戸橋」という駅名を「日本橋」に変更しているのであるが、駅名変更の費用を少なくする方法として、例えば、一時的に張紙により漸次駅名を変える方法もあり、値上げや新路線の開通等の際についでに駅名を変更し、その費用を抑えることも可能である。

行政の便宜や既成事実であるということによって、人格権の中心的な権利である氏名権を冒すことを不問にすることは許されない。

(2) 被告は、原告から長年異議がなかった旨主張するが、原告は、被告に対し、被告が駅名への使用を開始した当初からしばしば原告寺号の駅名への使用の中止を申し入れてきたのであり、単に被告の官僚的意思伝達機構のために、被告のしかるべき機関に右申入れが伝達されなかっただけである。また、一宗教法人である原告が、巨大な行政機構に対して訴訟を提起することは深刻な決断を要することであり、原告が直ちに訴訟を起こさなかったからといって、不利に扱われるべきではない。

5 本件駅名使用行為は、不正の目的による他人の営業と誤認させる商号の使用に当たるか(商法二一条)。

(一) 原告の主張

商法二一条は、営業主体を誤認させる商号の使用を禁止しているが、その趣旨は氏名、名称すなわち人格権の保護にあり、信用のある他人の名称を僣称して、その営業があたかもその他人の営む営業であるかのごとき外観を呈することを禁止している。

被告の本件駅名使用行為は、信用のある原告の名称を僣称して、原告の営む営業であるとの混同を生じさせている。

よって、原告は、被告に対し、商法二一条に基づき、原告の名称の使用の差止めを求める。

(二) 被告の主張

商法二一条は、商号の使用を禁止しているのであるが、都営地下鉄の各駅は、単なる営業上の拠点にすぎず、その名称は、商号ではない。

また、同条は、「不正ノ目的」をもって商号を使用することを要件としているが、これは、ある名称を自己の商号として使用することにより、一般人をして自己の営業をその名称によって表示される他人の営業であるかのように誤認させようとする意図であると解されるところ、被告にはこのような意図は全くない。

第三  争点に対する判断

一  不正競争防止法に基づく請求について(争点1)

原告の「泉岳寺」の名称が周知であり、被告が浅草線の駅名として「泉岳寺」を使用していることは前記第二、一1及び3のとおりである。

不正競争防止法二条一項一号、三条一項は、他人の周知営業表示と同一又は類似の営業表示を使用して他人の営業と混同を生じさせる行為を不正競争として禁止しているが、ここにいう営業の混同とは、周知営業表示の主体と営業主体が同一であるか、又は、親会社と子会社ないしは系列店等の何らかの組織的、経済的関連があると誤認されることであると解されるところ、都営地下鉄事業は、国による免許事業であり、地方公共団体である被告以外の者が行うことはできない事業であるから、原告のような宗教法人が都営地下鉄事業を行うことは一般的にはあり得ないことであり、したがって、一般人が被告の本件駅名使用行為により泉岳寺駅ないし浅草線の地下鉄事業を原告ないしその関連企業による営業と誤認することもあり得ないものというべきである。

原告は、現実の混同の事例として、間違い電話、荷物等の誤配、待合わせ場所等の混乱があった旨主張するが、本件全証拠によっても、右のような混同の事例が、被告の本件駅名使用行為によって、浅草線の地下鉄事業や泉岳寺駅の営業主体が原告であると誤認されたり、原告との間に何らかの経済的、組織的関連があると誤認されたことに起因して生じたものであることを認めるに足りる証拠はない。

よって、被告の本件駅名使用行為によっても、被告の営業を原告の営業と混同するおそれがあるものと認めることはできず、原告の不正競争防止法に基づく請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

二  氏名権侵害に基づく請求について(争点3)

1  宗教法人の氏名権

自然人の氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であって、人格権の一内容を構成するものというべきであるから(最三小判昭和六三年二月一六日民集四二巻二号二七頁)、他人によりその氏名を違法に無断使用された者は、人格権である氏名権に基づき、その侵害行為の差止めを求めることができると解すべきである(最大判昭和六一年六月一一日民集四〇巻四号八七二頁参照)。宗教法人の名称も、社会的にみれば、当該法人を他から識別し特定する機能を有し、同時に、当該法人が宗教法人として尊重される基礎であり、当該法人の人格的なものの象徴であって、法人について認められる人格権の一内容としてこれを保護すべきであるから、当該法人が他人によりその名称を違法に無断使用された場合は、人格権である氏名権に基づき、その侵害行為の差止めを求めることができると解すべきである。そして、右氏名使用行為の違法性については、自然人及び宗教法人いずれの場合も、他人の氏名を使用した目的、氏名使用行為の態様、氏名権を有する者が被る損害、及び、差止めを認めることにより相手方等が被る不利益等を全体的に考察して判断すべきである。

2  被告の本件駅名使用行為

(一) 氏名使用行為の目的、態様

鉄道事業における駅名は、駅の所在地を特定することを目的とした名称で、場所的表示がその本来的機能である。特に、鉄道事業は、広範な地域にわたる不特定多数の公衆に輸送、移動の手段を提供する公共的なものであることから、その駅名は、公衆の場所的目標としてわかりやすく、親しみやすいものであることが望ましいと考えられるところ、我が国では、従来から、駅名として駅所在地の地名、駅所在地付近の公共的施設名など、その名称によっておのずとその所在地が人々の頭に浮かぶようなわかりやすく、親しみやすい名称が選定されていることは一般に知られているところである。

そして、神社仏閣も、一般に、公衆の入門参拝を認め、お札、絵はがき等を交付販売し、門前に土産店や飲食店が設けられるに至るなど、公衆と深いかかわりを有してきた公共的存在であるため、駅付近の著名な施設として、公衆の便宜のために、その名称が鉄道の駅名として用いられることが多く、護国寺、祐天寺、東福寺、法隆寺、鹿島神宮など全国的にみて数多くの神社仏閣の名称が駅名として採用されているところであり(乙二二)、原告も、赤穂義士ゆかりの寺院として著名であることは前記のとおりであり、公衆の入門参拝を認め、義士館を設置し、また、参拝記念の絵はがき等を販売するなど(検甲一ないし四)、公衆と深いかかわりを有してきた公共的存在であることから、公衆の便宜のために、本件の駅名として「泉岳寺」が採用されたものであることは推察するに難くないところである。

(二) 原告が被る損害

原告は、被告の本件駅名使用行為によって、原告の「泉岳寺」という寺号が地名であるかのように誤解され、マンション、店舗等の営利事業に「泉岳寺」の名称が使用されることが多くなって、「泉岳寺」の名称の著名性が希釈化する旨主張するが、確かに、本件駅名使用行為によりマンション等に「泉岳寺」の名称を使用する者が過去に相当数あり、原告がその都度「泉岳寺」の名称使用中止の申入れをし、その使用を中止させたとの事実は認められるが(甲四)、第三者がマンション、店舗等の営利事業に「泉岳寺」という名称を使用した場合、原告の名称の周知性、著名性からいって、不正競争防止法等によってその差止め及び損害賠償等を請求することは十分に可能であり、被告の本件駅名使用行為によって、第三者による「泉岳寺」という名称の使用までもが正当化されるわけではないのであるから、原告の名称の著名性が希釈化されるおそれは少ない。

また、原告は、「泉岳寺」の名称が仏像等と同じく信仰と深く結び付き、崇高、不可侵なものであり、被告に無断で使用されること自体が損害である旨主張するが、前記のとおり、神社仏閣は、信仰の場であるとともに、公共的存在としての側面を併せもつことが多く、その名称が駅名として使用されている事例が全国的に多数ある(例えば、原告が属する宗派である曹洞宗の「永平寺」についても、その寺号と同一の名称が駅名となっている(甲七、乙二二)。)ことからすれば、神社仏閣の名称が公共的な鉄道事業の駅名に使用されることが直ちにその信仰との結び付きを損なうものであると認めることはできない。

さらに、原告が主張する間違い電話、荷物等の誤配、待合わせ場所等の混乱についても、確かに、間違い電話については過去において相当多数回あったことは事実であるが、荷物の誤配、待合わせ場所の混乱については、その頻度がそれほど多かったものとはいえず(甲四)、また、間違い電話については、平成五年三月以降のNTTの電話帳が原告への間違い電話が起きにくいように訂正されている(乙七ないし一四)のであり、現在、右のような間違い電話等の頻度が以前のように多いことを示す証拠もない。

(三) 本件駅名使用行為の差止めにより被告等が被る不利益

「泉岳寺」の駅名は、既に二五年以上にわたって多数の人々に親しまれ利用され、社会的に定着してきているものであるが(乙一、二)、仮にその駅名を変更するとなると、浅草線だけでなく、別紙記載の相互乗入線、連絡線を利用する広範多数の者に影響を及ぼすだけでなく、被告及び右各路線の各事業主体に対し、乗車券、定期券、駅案内標識、運賃標識等における「泉岳寺」の駅名の表示の変更のためかなりの費用ないし労力の負担を及ぼすことは容易に予想されるところである(甲九、乙一五)。

3  以上によれば、被告の本件駅名使用行為は、原告の名称を使用するものではあるが、公衆の便宜のために公共的存在である著名な寺院の名称を公共的な鉄道事業の駅名として使用しているものであって、公益性が認められるものであり、これと、本件駅名使用行為により原告が被る損害の程度、及び、本件駅名使用行為を差止めることにより被告等が被る不利益を全体的に考察すれば、被告の本件駅名使用行為は、原告の氏名権を違法に侵害しているものと認めることはできないものといわざるをえず、原告の氏名権に基づく本件駅名使用行為の差止請求は理由がない。

三  商法二一条に基づく請求について(争点5)

商法二一条は、商号の使用を禁止しているのであるが、被告の「泉岳寺」の駅名の使用は、商号の使用ではない。

また、被告の本件駅名使用行為について、被告に被告の営業を原告の営業と誤認させようとする不正の目的があったと認めるに足りる証拠はない。

よって、商法二一条に基づく原告の請求は理由がない。

四  以上によれば、原告の請求は、理由がない。

(裁判長裁判官設樂隆一 裁判官橋本英史 裁判官長谷川恭弘)

別紙<省略>

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